<04脚注>
東京の国際無線電話社
ここでいう「無線電話」とは、初期のラジオの呼び名のこと。
初期のラジオは「無線電話放送」とよばれ、東京無線電話会社の放送機により大正13年(1924年)東京で試験放送が行われた。
当初の放送機器は皆輸入品だった。
東京放送局が、GE社製200Wの無線電話機を使用して、愛宕山から放送電波をだしたのは大正14年3月1日。
さらに大正14年6月から大阪放送局がWE社製500Wで、名古屋放送局は7月からマルコニー社製1KWで放送を開始した。
これらは大正15年に日本放送協会に合併される。
参考
大正15年当時のラジオ
- 全受信者数は約5000(国民の1割以下)
- 国内受信機の7割は鉱石ラジオ
- 価格(新任教員の給料25円)
■国産鉱石ラジオ 30〜50円
■アンテナ 10円
■聴取料月額 2円
■真空管式ラジオ 国産 70〜300円
輸入高級品 2000円