08:注釈



東西半球の変わり目

 日付変更線のこと。
 日付変更線は、地球表面で北極と南極をつなぐ想像上の線。 時間や日付を矛盾させないため、西から東に通過するときは日付を1日戻し、逆に東から西へ通過するときは日付を1日先に進める。
 日付変更線の必要性は18世紀中に航海者によって認められ、19世紀には太平洋の中央で日付を変えていた。明治17年(1884年)にワシントンで開催された万国子午線会議において、経度0度の線がグリニジを通ると定められ、それに付随して、基本的に経度180度の線を日付変更線とした。

横浜講学会発起人の書生

 この手紙では名前が書かれていないが、高野房太郎(1869〜1904年)のこと。
 帰国後の明治30年(1897年)、城常太郎らと「職工義友会」を結成した後、片山潜らとともに労働組合の発展に務める。
 明治37年、中国山東省にて没。
 享年37歳。

石阪公歴 (いしざか まさつぐ)

 石阪公歴(1869〜1944)。
 民権活動家。
 神奈川の自由民権運動の最高指導者のひとり、石阪昌孝(衆議院議員・群馬県知事)の息子。
 第2次大戦中、アメリカの日本人強制収容所で没。

片山 潜 (かたやま せん)

 片山潜(1859〜1933)。
片山潜  岡山県生まれ。
 キリスト教社会主義の立場によって社会主義運動に入り、明治34年(1901年)に安部磯雄、幸徳伝次郎(秋水)、木下尚江らと日本最初の社会主義政党・社会民主党を結成。
 ロシア革命以後は共産主義へと転じ、大正11年(1922年)以降は帰国することなく、昭和8年にソヴィエトで没。
 葬儀はスターリンらによって行われ、遺骨はクレムリンの壁に葬られた。