スケットボールが他のメジャースポーツと決定的に違う点、それは個人によってデザインされた競技であるということではないだろうか。
ジェームス・ネイスミスが考案した新競技は、「冬の室内で行える競技。しかも面白く、覚えるのもプレーするのも簡単なもの」という、当時の国際YMCAトレーニングスクール体育部主事養成科長L・H・ギューリックの課題に応えるものだった。
既存の競技を室内化する試みはことごとく失敗した。体育館は野球には狭すぎ、クリケットも不評、サッカーでは窓ガラスが割れた。試行錯誤の末、最後にネイスミスがたどりついたのは、幼い頃の遊びから思いついた『頭上にゴールのある球技』だったという。
しい競技は、秋季から冬季へと運動種目が切り替わった明治24年(1891年)12月21日の午前11時30分、一般事業担当主事養成科クラスの18人の学生たちによって初めてプレーされた。
これが史上初のバスケットボールの試合であり、この1892年卒業のクラスに石川源三郎は在籍していたのである。
ゲームはゴールキーパー×1、ガード×2、センター×3、ウイング×2、ホーム×1の各チーム9人制で行なわれた。この構成はラクロスを参考にしたものだという。
また、ゴールには当初箱を使う予定だったが、管理人が代わりに桃の篭を持ってきたため、ネイスミスはこの篭を10フィートの位置に打ちつけて使った。
後に学生のひとり、フランク・メーハンがこの競技の名前を考案者にちなんだ『ネイスミス・ボール』にしようと提案したが、当のネイスミスが反対し、結局『バスケット・ボール』という名に落ち着いた。
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の最初のゲームを描いたスケッチは、石川源三郎の手になるもの。
最初のゲームは、1時間余り両チームともノーゴールのまま続き、やっとゴールが決まった後に終了となったという。
ちなみにゲームが終了してから、ネイスミスはまだルールを明文化していないことに気づき、1時間ほどで13か条からなるルールを書き上げた。
そして、これ以後、石川源三郎の名がバスケットボール史に現れることはない。
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- バスケットボールの歩み
〜日本バスケットボール協会50年史〜 昭和56年刊 財団法人日本バスケットボール協会
写真資料提供: スプリングフィールド大学・ボブソン図書館
Photo:the Archives and Special Collections,Babson Library, Springfield College, Springfield, MA
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