明治24年(1891年)12月21日、マサチューセッツ州スプリングフィールドにあった国際YMCAトレーニングスクールの体育館。 この日、ここでは体育担当教官ジェームス・ネイスミスによって考案された新しいスポーツの最初のプレーが行なわれていた。サッカーボールを使い、桃の篭(ピーチバスケット)をゴールとした室内球技には、まだ名前がなかった。 石川源三郎はそこにいた。
後にバスケットボールと名づけられることになる新スポーツを最初にプレーしたのは、当時国際YMCAトレーニングスクールに在籍した18人の学生たち。 そのひとり、バスケットボール誕生の瞬間に立ち会い、最初のゲームをプレーした日本人。それが石川源三郎だ。 しかし、その名がバスケットボール史に現れるのは、この瞬間だけである。 彼がなぜそこにいたのか、その後どのような運命をたどったのかは、ほとんど語られることがない。 そこにいた男。 私にとって、石川源三郎とはまだ、それだけの存在である。
このページは以下を参考に作成しました。 資料提供やお問い合わせに答えてくださった皆様に感謝いたします。 バスケットボールの歩み 〜日本バスケットボール協会50年史〜 昭和56年刊 財団法人日本バスケットボール協会
写真資料提供: スプリングフィールド大学・ボブソン図書館 Photo:the Archives and Special Collections,Babson Library, Springfield College, Springfield, MA