石川源三郎 Genzaburo Ishikawa
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している資料や問い合せの結果を待つ間、石川源三郎が育った明治という時代について考えてみることにしたい。
 といっても、およそ1世紀半を経た現在に暮らす私には、明治という時代がいまひとつ見えていない。
 疾風怒涛のような、ひとつの国の青年期という漠然としたイメージだけなのだ。
05:明治という時代(1)
三郎が生まれた慶応2年(1866年)は、薩長同盟が生まれた年。
 翌年には大政奉還、さらにその翌年には王制復古のクーデターにより徳川幕府は瓦解し、明治が始まる。
 したがって、当時2歳の源三郎には江戸時代の記憶はなかったろう。物心ついた時、既に日本は近代へと突入していたことになる。
 慶応4年、後に明治と改元することになるこの年の1月3日、父・石川喜四郎が戦死した戊辰戦争は鳥羽・伏見の合戦で幕を上げる。
 館林藩六万石は徳川譜代の藩だが、戊辰戦争開始早々に官軍への恭順を決めた。その後、4月には官軍の東山道軍に属し出兵。結城城攻略、下総武井等の戦闘に参加している。
 源三郎の父は結城で戦死したという、おそらくはこの4月の戦いによるものだろう。戊辰戦争に館林藩から出兵した人数は1097人。うち戦死39、負傷31。戦死者の一人が石川喜四郎だったわけだ。
 そして9月、元号は明治となる。
揺籃期のニッポン
三郎が母とともに上京する明治9年(1876年)までの日本は、まさに揺籃期。
 しかも、このゆりかごはまるでジェットコースターのように動いた。
 版籍奉還、廃藩置県、地租改正、佐賀の乱、台湾侵略、廃刀令、うちつづく一揆と士族の反乱…。さらに明治10年には西南戦争の西郷軍敗北により、源三郎が属していた士族階級そのものが完全に終わりを告げる。
 一方、源三郎が幼年期を過ごした群馬でも大きな変革が起きていた。
新島襄  明治6年、欧州諸国の圧力に屈した明治政府はしぶしぶといった感じでキリスト教を解禁した。群馬県では、元治元年(1864年)に安中藩を脱藩して渡米していた新島襄が明治7年に帰国。故郷での布教活動を開始し、群馬県は全国有数のキリスト教の盛んな土地となっていく。
 こうした環境の激変は、幼い源三郎にもさまざまな影響を与えたに違いない。もっともここで問題となるのは、そうした影響により、源三郎がどんな人格を形成するに至ったかなのだが、それはまだわからない…。


三郎が館林から上京する前後にかけて、日本の文化は一気に様変わりしはじめた。
 ザンギリ頭が流行し、官吏や教師・学生が洋服を着るようになり、都市部には牛鍋に代表される肉料理を供する飲食店ができた。横浜や東京に洋風建築がはやり始めたのもこの頃。明治5年に火災で消失した銀座は、煉瓦造りの洋風建築の街並みに再建された。
木戸孝允  もっとも、こうした変化は一部の大都会での話でしかない。一歩都会を離れれば、景色も生活も江戸時代とほとんど変わりなどありはしなかった。
 木戸孝允はこの様子をさして「日本橋周辺の文明開化」と呼んでいる。かつての維新志士・桂小五郎、明治にあっては維新三傑のひとりであった木戸孝允。明治という時代を生み出した大政治家のこの台詞には、かなりの苦々しい思いが含まれているのではないだろうか。
文明開化の名の下に
年、源三郎が生活することになるサンフランシスコの日本人社会にも多大な影響を与える変化は、実はこうした外見上のものではない。
 それはキリスト教と欧米の思想・文化だった。当時、キリスト教はただ宗教というだけではなく、新しい文化そのものの象徴だった。
 また、思想面では宮沢諭吉の「学問ノススメ」が近代の精神のあり方を大きな衝撃とともに日本中に宣言。ついで元土佐藩士にして明治の社会思想家・中江兆民がフランスで学んだルソーの思想を広めている。
 これらがやがて自由民権運動や社会主義運動へとつながり、源三郎が渡米した時期のサンフランシスコは、日本を脱出した思想家や学生たちが国内とは違う自由な風潮のなかで活動する場となる。そして、その活動がひいては国内での思想弾圧を呼ぶことになったと私は思っているのだが、これはもう少し後で考えてみることにしたい。

 今回は歴史の教科書みたいで、石川源三郎の事蹟を知りたい人には申し訳ないのだが、資料が入手できるまで、いましばらく歴史背景について確認しておきたいと思う。

参考資料
このページは以下を参考に作成しました。
資料提供やお問い合わせに答えてくださった皆様に感謝いたします。
写真資料提供:
 スプリングフィールド大学・ボブソン図書館
Photo:the Archives and Special Collections,Babson Library, Springfield College, Springfield, MA
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